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凡人で「挫折」と「絶望」を繰り返した人生。夢は「諦めない者」だけが叶えられる。【父から学んだこと】

人生は平等ではない。残念ながら生まれながらに差はある。

その差を埋める唯一の方法はシンプルに「努力」すること。それも並の努力ではなく、人格が変わるレベルでやり込んではじめて努力と言える。

今ではこんな熱血の作業バカになってますが、元々はサボり癖のある圧倒的凡人だった。凡人=しかまるって感じです。

そんな僕がなぜビジネスに本気で立ち向かおうと決意したのか。僕の生い立ちをお話しつつ、夢を語っていこうと思う。

こんな人は仲間です

  • 凡人のまま終わる人生はイヤだ
  • 稼げるようになって見返してやりたい
  • サラリーマンから抜け出して起業したい

しかまる

このように考えている人は、一緒に夢を叶えてバーで飲みながら語りましょう!!

僕はまもなく独立起業しますが、ここまでかなりの遠回りと無駄な努力を繰り返してきた。

ぶっちゃけ、強くてニューゲーム(知らない人すみません)が出来るなら、10分の1の期間で達成可能だと思います。

でも、そうなるまでには「死んでも叶えたい夢」「諦めないマインド」これらのピースが揃わないことには不可能です。

「何となく人より稼ぎたい」

最初はこんな気持ちでビジネスをやっていた時期もありました。でも、あることがきっかけで人生は大きく動き始めた。

「父が死んだ」

2020年2月末日。何気ない平日。何気ない日常。

いつも通り会社で仕事をしていました。金融のWeb関係の仕事をして早6年目。

「このまま毎日何となく人生終わるのかな」何となくこんなことを思いながら、ラットレースのマウスのように会社の歯車として働いていた。

Webの勉強のため、副業でブログを開始して月12万円ほどの収入があったが、どこか煮え切らない感じで続けていた。

そんなとき、普段は日中に電話をしてこない母からの着信。会議中だったので、イヤな胸騒ぎを感じつつも後回しにした。

会議後に「イヤな予感がするな」と思いながらも母に電話する。

第一声「どうしよう。お父さんが、お父さんが…自殺した。」気が動転している母。

杞憂であってくれと願ったイヤな予感が的中し現実のものとなる。いや、予想をはるかに超えてきた。

ここから僕の記憶はない。どうやって会社から出たのか、どうやって自宅から車で実家に向かったのか、まったく覚えていない。経営者だった父はいつも一生懸命に会社を経営していた。

小さいころから憧れの存在だったが、口数多いわけではないので普段はあまり話さなかった。

好奇心旺盛だった幼少時の僕は母には怒られまくった。

でも、父には怒られたことは一度しかない。たった一度怒られたのは、高校生のときに厳しいことで有名な名門バレー部を辞めたいと話したときだ。僕は優しい父だからオッケーすると思っていた。今でも言われた言葉が残っている。

「一度逃げた人間は二度と戻ってこれない。多くの人は経験のないツラさを感じたら逃げようと思ってしまう。そこで踏ん張れた人間がチャンスを掴むことができる。」

当時の僕は意味が理解できずに「なに言ってんねん」と思っていた。とはいえ、はじめて父に怒られて何とか辞めることは踏みとどまった。父が死んだいま。この言葉だけがいつも頭の中でリピートされる。

こんな経験を突然することになった僕がどう育ち、何を感じ、なぜ今ブログに本気になっているのかお話します。

好奇心旺盛な小学生時代

一言でいうなら「悪ガキ」でした。普段大人しいクセにしょーもないことさせたら天下一品。

悪ガキエピソード

  • 大きな公園の木の上にベニヤ板と電気を通して家を作る(警察にむっちゃ怒られた)
  • マンションからマンションへ忍者のごとく走り回るリアルアスレチックをやる(警察にむっちゃ怒られた)
  • 憧れの人は「ムツゴロウさん」

そんな余ったパワーを発散できるバレーボールに出会った。

この出会いは将来、根拠のない自信をバキバキにへし折る経験へと繋がるわけだが、この時は知る由もない。小学生時代は楽しくバレーボールに打ち込む日々。楽しくて時間を忘れてずっと練習していた。

今ではもうキャリア20年以上のベテラン(笑)

メンタルが崩壊した中高生時代

中学に入学して入った部活は名門校でもなく、鬼監督がいるわけでもなく、まったりと練習していた。

2年生が0人で、3年生が引退と同時にすぐ1年生だけのチーム。流れでなぜかキャプテンになった。

ある日、体育館に行くと「今日からバレー部の監督だ」と色黒イケメンの先生が立っていた。これが人生を大きく動かす出会いとなる。

監督が来て「これで上手くなれる!」と思った。

この先生は某日体大のエース選手で、「バレーボールをのんびり3年間楽しもうぜ」というテンションだった部活は激変。

どこよりも厳しい練習が始まった。右手にはタバコ、左手には竹刀というまさにヤンキースタイルの指導。

とはいえ、超スパルタな指導のおかげで力をつけて、ベスト4に入る大躍進。

練習で何度意識が飛んだのか覚えていない。毎日1時間ワンマン(バレー部にしかわからないネタ)されて保健室に運び込まるなんで日常茶飯事。

「お前の限界はどこだ?」毎日問われ続けた中学時代。

中学の部活引退後、懲りずに先生の推薦経由で、日本一になるような名門高校に入部。(先日、後輩が1セットも落とさずに全国優勝した。後輩バケモノ)。

もう中学のような地獄はいやだ。
スマートに練習して日本一になりたいんだ。

と思って名門バレー部に入部を決意。
(女の子と楽しい高校生活を送りたかったぜ!)

中学生の時に見学に行くと監督は満面の笑みで仏のような人でした。「ここなら大丈夫だ!もう竹刀を持ったヤンキー監督はいない」と確信して高校生活を楽しみにしていました。

入学初日、高校の監督に挨拶しなきゃとルンルンで教官室へ。

しかまる

失礼しまーす

鬼監督

入れ!

しかまる

(なんか機嫌悪いな…)

鬼監督

お前舐めてんのか!!

しかまる

(ファ!?)な、舐めてません…

鬼監督

声が小さいんじゃ!「はい」か「いいえ」以外で返事すんな!

–ボコボコにされる–

鬼監督

明日までに頭丸めてこい!

しかまる

はい!ありがとうございます!

鬼監督

「はい」以外は言わんでいいんじゃ!

と二重人格を疑うレベルで高校の監督も中学と同じような人になりました(※どちらも今では尊敬してます)。

騙したな!あの野郎!!!
(中学の監督)

高校は全員推薦で外国人が2人もいるチームでした。僕らの代は特別大きくて、平均身長が高校生ながら192cm以上と当時全国で2番目にデカいチームでした。

僕は177cmと小柄なのでリベロというレシーブ専門職で入部していました。

7つの謎ルール

  1. 学校で私語禁止
  2. 挨拶は「押忍」以外は殴られる(押忍ってなんやねん。引退後、会社員まで癖が抜けずに押忍って言ってたわ
  3. カフェイン飲んだら殴られる(コーヒー飲めなくて良かった)
  4. 立ち飲みなんてしたら殴られる+即坊主になる(すぐ坊主なので、3年間散髪不要)
  5. 成績が平均以下なら殴られる(文武両道を謳うなら21時には帰宅させてくれ)
  6. 遅刻なんてしたら生きて帰れない(先輩は遅刻で殴られて記憶喪失になりました)
  7. 「はい」か「いいえ」以外返事禁止(会話にならん)

謎ルールの中で軍隊のような生活を過ごしていた。途中の記憶がないので、防衛本能が記憶を消したのだろう。まじで覚えていない。

「非凡」な才能を持った中に僕みたいな「凡人」が紛れ込みました。

そして、僕はリベロがイヤでスパイカーに転向。低い身長、弱いフィジカル、どれを比べてもうちの非凡な選手たちには勝てませんでした。(195cmの外国人とかチートです)

毎日全体練習が21時に終わり、そこから自主練をして帰宅は24時、翌日の朝練習は7時という生活。

それでも非凡な1つの才能を持った人たちに全く勝てない。練習しまくってスキルはすべて平均値以上になってるはずなのに「スパイクの打点が異常に高い」という一芸だけでレギュラーを落とされる。

得意のレシーブが乱れた日には、僕なんて使い道がないのでベンチさえ外れて応援席行き。圧倒的な競争社会です。

中学時代に持っていた根拠のない自信はすべてバキバキになった。悔し涙さえ出ない。

何か1つでも非凡な才能を磨かなきゃ生き残れない。のちに社会人でも感じることを、奇しくも高校の部活で感じていた。

そして、全国常連だったチームが僕の代では、県予選の決勝で敗退。

しかまる

すべて積み上げてきたものが崩れる音がした。引退後は何も考えずバレーボール推薦で大学へ進学。

人生の目標を見失った大学生時代

高校時代に完全燃焼—–。

完全敗北していた僕は特に目標なく大学でバレーボールをやってた。春高もないし、インカレ優勝とか言われてもイメージ出来てないし、どうせ僕なんて「凡人」だからトップの非凡な人達には勝てないんだと僻んでいたのだと思う。

今思うと超ダサい。

何となくバレーボールを続けながら、空き時間はバー店員をやったりバイトばかりの生活。そして、大学3年生のとき「そろそろ就職先考えないとヤバいな」と急に不安に煽られた。

なぜか公務員を目指す

勝手なイメージで公務員になれば「定時上がりで将来安定」という情弱丸出しな考えで、TAC(予備校)にダブルスクールを決意。もちろん、親のお金だ。

普段は注意散漫。でも夢中になると誰よりも集中してドハマりしてしまうタイプ(たぶん、検査したら病気だと思う。笑)の僕は、公務員の試験勉強を朝6時~23時までずっとやっていた。

特に公務員になりたいわけではなかった。1mmもなりたくない。

「15時からティータイムで17時には帰れる」というフレコミの裁判所事務官。そして、無難に国家一種二種を目指すことにした。

来る日も来る日も勉強した。論文対策は1万文字を5本丸暗記するという病的な作戦を決行。

論文試験は「政教分離の原則」がテーマだった。なんと丸暗記がドンピシャで当たるという奇跡。悪運は強いようだ。

靖国神社の玉串料についてドヤ顔で書いたことを今でも覚えている。ドヤァー

当時、合格率の高かった東京まで試験を受けに行き、何とか裁判所事務菅と国家二種の内定をゲット。(国家一種は僕ごときではカスリもしませんでした)

ここで自分でも「頭おかしいだろ」と思う事件が発生。なんと公務員の内定を蹴って一般企業のIT営業職に就職。

理由は「公務員がなんかつまんなさそうだから。」

いや、最初から分かってただろww

もちろん、親ブチ切れ。過去一ブチ切れ。

そりゃ予備校Wスクールする費用も払って貰ってましたし、1年間勉強と部活以外何もしてなかったですから…

何はともあれ、社会人になったわけです。いや、社壊人だな…

ホントにこんなことがしたいのか?と悩んだ社会人時代(今)

最初にお伝えしたいのは、入社したIT営業職は見事に「ブラック企業」だったということ。

営業研修では、500円の本(中身スカスカの営業教材)を高層ビルの上から階段で降りて、すべての会社に提案するというもの。

ブラック営業職にお馴染みの「ローラー作戦」です!ドドン!ドヤ!!

この修行により、罵声、批難、挫折を味わうことが出来ます。普通ここで辞めていい会社に行くのですが、学生時代がもっと地獄だったのでノーダメージ。

こんな営業生活を2年ほど続けた。必死になって新人賞やトップセールスの賞を獲得するために走り回った。でも、次第にこう思い始めた。

「ホントにこんなことがしたいのか?」
「一生こんな仕事をしてて胸を張れるのか」

しかまる

いや、違う!絶対に違う!!なこんな人生なんか違う!!

勢いのままに退職。そして金融関係のIT部門に入社。

ここでブログという存在に出会います。

営業職だったので、Webに関する知識は全くありませんでした。ブログとの出会いは「勉強のためやってみた」がスタート。

Seesaaブログ(無料ブログ)で、SEOやWebマーケティングを勉強するために何となく始めたことがキッカケです。ある日、Googleアドセンスを何となく開くと「3円」という表示がありました。

しかまる

「???」

Googleアドセンスの広告は、記事に表示させていたけど、収益化目的じゃなかったので何のことかわかりませんでした。

しかまる

「3円稼げてるじゃん!!!」

街中で見て思わず声が出た。

3円稼ぐなんて社会人なら当たり前かもですが、会社員として稼ぐお金と自分がビジネスをやって稼ぐお金は全く別物です。

生まれてはじめて自分がビジネスで稼いだお金と言っても過言ではありません。この時、何か僕の中で「お金」に対する価値観が変わりはじめた。

お金は「会社から与えられるもの」ではなく、「自分で作り出した物への対価」と思い始めた瞬間でした。

誰かに与えられる量には限界があるけど、自分が作り出した物への対価なら、稼げる額は青天井じゃないのか?会社から貰っている給料30万円は安いんじゃないのか?このように感じ始めました。

結論から言うと、この感覚は正解でした。

もっと自由になるには力がいる

その感覚を味わってしまった僕は本気でブログで稼ぐ世界にのめり込んでいった。

学生時代の部活のように、公務員試験のときのように、過集中とも言える状態だったと思う。

この時から「会社員を辞めて自由に生きる」という内なる野望を芽生え始めた。とはいえ、自由になるにはもっと稼ぐ力がいる。まずは徹底して1年間やりこむことを決意。

1日のスケジュール

  • 6~8時:作業
  • 8時~9時:出勤(音声学習)
  • 9時~18時:本業(昼休みは鬼作業)
  • 19時~26時:作業
  • 26時~:就寝

4時間睡眠で突っ走った。止まったら死ぬマグロのごとく走り続けた。

その結果、最初の半年間で何百記事というボリュームのバレーボールとガジェットブログの記事を作成。

しかまる

どちらも最初半年は全く成果が出ませんでした。

ブログ人生に転機が訪れる

そんな時に、有名ブロガーさんにアドバイスを頂いて、まずは忠実に言われた通りにやりました。そのタイミングでスポーツ系YouTubeも開始。

今思うと、ここが人生のターニングポイントだったと思う。

そして、給料以上の収益を得ることに成功。作業時間で計算すると最初1年間は大赤字ですが、この非合理的な時間を「夢」を叶えるという情熱だけで突っ走れて、やっと少しの成果が手に入る。

僕の次の目標は独立起業

この人生で学んだことは、本気で叶えたいと願い、誰よりも努力すれば絶対に夢は叶うということ。

諦めなければ必ずチャンスがあります。

綺麗ごとだとという人は、本気で叶えたいとある意味で怨念レベルになるまで、物事に打ち込んだことが無いのだと思う。

「諦めろ」「無理だ」とカッコつけてスマートに生きるのはラクかもしれない。

でも、たった一度の人生。夢があるなら泥臭くてカッコ悪くてもいい。転びながら前に進めばいい。結果的にそれが一番「夢を叶える要因」となるのだから。

まだまだこの冒険は続く。

「吐くまで努力した人間だけが少しのチャンスを手に入れられる」。昔に父がボソッと言っていた言葉を胸に、今日も行動しまくっていこうと思う。

人生を本気で変えたい人。サボってきた分の努力は絶対に必要です。

そこで歯を食いしばって夢中になって行動できるかで人生は大きく変わるのではないかと思うわけです。

とはいえ、何をやっていいかわからない、お金をかけて勉強して失敗したくない。こう感じると思います。

なので、無料でブログで月10万円まで稼げるコンテンツをこのブログに用意しました。動画+テキストで徹底解説するので、一緒に勉強して人生を変えていきましょう。

その辺の高額の情報商材より中身が濃いコンテンツなので、本気の方だけ見て頂ければ嬉しいです。